柴田恭平

柴田恭平が東京キッドブラザーズの花形スターで、ミュージカルをやっていたなんてしている人は、今じゃほとんどいないんじゃないですか。
当時は踊って歌って、芝居まで出来るミュージカル俳優で、劇団四季の向こうを張っていたぐらいの活動を行なっていて、小椋佳も楽曲を提供していました。
オリジナルのミュージカルを上演していた東京キッドブラザーズも日本のミュージカル界に残した足跡は大きいし、柴田恭平の存在も東京キッドブラザーズでは欠かせない存在でしたが、弱小劇団の悲しさと言うか、ビジネス的に成立しなくなったために、主催者の東由多加氏がなくなられて解散してしまった事は残念です。
作家の柳 美里氏は『命』『魂』、そして『生きる』でかっての恋人東由多加について書いてありますから、興味があったら呼んでください。
柴田恭平から東京キッドブラザーズを引いたら何が残るかと言えば、つまらないTVドラマと、東京キッドブラザーズの舞台からは想像もつかない、老けた柴田恭平だけです。
柴田恭平の映画のデビューは、1976年の東京キッドブラザーズの『ピーターソンの鳥』で、監督はもちろん東由多加で、原作は皆川博子、脚色は東由多加でした。
作曲は井上尭之、大野克夫、大野真澄と言った、豪華メンバーで、まだ柴田恭平が東京キッドブラザーズに入団して間もない頃で、脇役で出演しました。
1978年には松田優作主演の『 最も危険な遊戯』で監督は「哀愁のサーキット」の村川透でした。
同時の石原プロモーションの『大都会 PARTII』の第36話にゲスト出演したのが、TVドラマのデビューとなりました。
この頃の石原プロモーションの『大都会 PARTII』には渡哲也や松田優作に、ゲストには林豊ゆたか、水谷豊、俳優として蜷川幸雄も出演していたほど、現在の大御所連の若い頃の姿が見る事が出来ます。
その後石原プロのTVドラマに数本ゲスト出演しますが、1979年日本テレビの沖雅也主演の『俺たちは天使だ!』では、レギュラーのダーツ役でを獲得し、TBSテレビの『赤い嵐』では主役に抜擢されました。
1981年日本テレビの『プロハンター』では、草刈正雄や藤竜也と競演し、番組も人気を博しました。
1983年にはTBSテレビの『オサラバ坂に陽が昇る』ではかなりシリアス役にも挑戦し、柴田恭平はその演技の幅の広さを示しました。
1981年のNHK大河ドラマ『山河燃ゆ』特高警察の刑事の荒木義勝役で柴田恭兵は初出演を果たしました。
その後NHKの大河ドラマに多くでるようになり、知名度も上がっていくのですが、『危ない刑事』シリーズなどヒットを飛ばしますが、なぜかミュージカル仕立てのテレビ番組には、出演がありませんでした。
最近では『半落ち』などで、渋い演技を見せている柴田恭平ですが、東京キッドブラザーズの頃の柴田恭平が最高です。